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名古屋高等裁判所 昭和30年(う)421号 判決 1962年12月24日

被告人 荒井忠彦 外四名

主文

本件控訴を棄却する。

理由

一、本件の概要、

本件において検察官が主張した公訴事実の要旨は、被告人らは島名武雄と共謀のうえ、内乱の罪を実行させる目的で、昭和二七年九月一三日午前六時三四分ころから同午前七時二分ころまでの間上野市平野馬場先二八八六番地安永鉄工所正門前において、同所職工奥学ほか六九名に対し、「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」と題し、「売国的な吉田政府はアメリカ帝国主義のこの野望に同意し、占領制度を延長するための日米安全保障条約を結び警察や予備隊、海上保安庁の新しい軍隊を強めている。彼らはそれによつて日本軍国主義を再建するとともに、警察や軍隊の周囲に消防団、鉄道公安官やガード、職制、反動的暴力団等を結集し、国民にフアツシヨ的な体制を押しつけているのである。この侵略的な武装力と一切の暴力組織が吉田政府と占領制度に反対する国民を弾圧し、戦争によつて利益を得る日本のすべての反動勢力を守つている。従つて平和的な方法だけでは戦争に反対し国民の平和と自由と生活を守る闘いを押し進めることはできないし、占領制度を除くために吉田政府を倒して新しい国民の政府をつくることもできない。彼らは武装しておりそれによつて自分を守つているだけではなく、われわれをほろぼそうとしているのである。これとの闘いには敵の武装力から味方を守り敵を倒す手段が必要である。この手段は、われわれが軍事組織を作り武装し行動する以外にはない。軍事組織はこの武装のための組織である」。「既に国民の間では部分的ではあるが、彼等に対する直接的な行動が組織されており、武装を求める先進的な闘争も行なわれている。しかも情勢はこれを全国民的な規模に発展させうる条件を備えているのである。」「労働者や農民の軍事組織をつくるには、……武器をとつて国民をこの奴隷的状態から救い、民族解放、民主革命のために献身する意思と決意と能力を持つ人々を結集する以外にない。軍事組織の最も初歩的なまた基本的なものは、現在では中核自衛隊である。従つてわれわれはこの人々を中核自衛隊に組織しなければならない。」「中核自衛隊は工場や農村で国民が武器をとつて自らを守り、敵を攻撃する一切の準備と行動を組織する戦闘的分子の軍事組織であり、日本における民兵である。従つて中核自衛隊は工場や農村で武装するための武器の製作や獲得或いは保存や分配の責任を負い、また軍事技術を研究し、これを現在の条件に合せ、闘争の発展のために運用する。更にこの実践を通じて大衆の間に軍事技術を普及させる活動を行なう。」「現在の軍事組織は工場や農村の戦闘的分子から成る中核自衛隊であるが、軍事委員会は、この基本的な組織を発展させることによつて、更に労働者や農民のバルチザンや人民軍を組織していくことを大きな目的とし、これを政治的に、軍事的に指導する責任を負うものである。」「もともとわれわれの軍事的な目的は労働者と農民のバルチザン部隊の総反抗と、これと結合した労働者階級の武装蜂起によつて敵の権力を打ち倒すことにある。」「日本で……バルチザンを……組織しなければならない。これは非常に効果的な闘争の方法であり、敵に決定的な打撃を与えることができる。」「このようにして闘争がくり返され、大衆行動と軍事的勝利が蓄積されるならば、われわれは敵の支配を地域的に麻痺させ、真の根拠地をつくりあげることができる。」「またこうしてわれわれの武装力によつて敵の支配がくつがえされ、軍事組織も参加した民族解放民主統一戦線が地域的な支配を確立するならば、これこそ、われわれの権力に他ならない。」「われわれの軍事組織は、この根本原則に従つて、敵の部隊や売国奴者を襲撃し、これを打破つたり、軍事基地や軍需工場や軍需品倉庫、武器、施設、車輛などをおそい、破壊したり、爆発させたりするのである。」「われわれの軍事科学は武器をつくることや、それを保存したり、使用したりすること等の技術的な問題から地形や条件に応じて味方を配置し、力を充分に発揮する作戦や全革命戦争の見透しと戦術など、日本の革命戦争に必要な一切のものを含んでいるのである。」「軍事組織の目的は日本の国民を現在の奴隷的状態から救い、人間らしい自由と生活を闘いとることにある。このために国民の武装した力によつて現在の反動制度を撤廃し、民族開放民主制度を確立するのである。従つて軍事組織は民族解放民主統一戦線の最も先進的な最も戦闘的な行動の部隊である。」「自らの力を強めるためにも同盟者と協同して新しい国民の政権をつくるためにも進んで統一戦線の結成に努力し、地方や全国の統一戦線に積極的に参加しなければならない。そうしてのみ国民の利益のための国民の武装組織となることができるのである。」「われわれは軍事的な力を過信してそれが政治的な任務を達成する手段の一つであることを忘れてはならない。軍事組織の闘争はきわめて熾烈なものであるが、その目的は結局、民族解放、民主革命を目指すものであり、国民の共通の目的のために闘つているものである。それ故にこそ軍事組織が大衆闘争と結合して敵の武装力を地域的にくつがえすならば、それが直ちに国民の権力を地域的に打ちたてる力となるのである。」以上の事実を記載して前記内乱の罪の実行の正当性および必要性を主張した文書(以下単に本件軍事文書という)合計七二部を頒布したものであるというのである。

右の事実のうち、外形的事実および被告人らが島名武雄を通じ、本件軍事文書頒布につき相互に意思を連絡していたこと、また右軍事文書がその記載自体としては、内乱罪実行の正当性または必要性を主張した破防法第三八条第二項第二号に該当する文書に当るものと断定できること、並びに被告人らが本件軍事文書が内乱の罪を実行することの正当性または必要性を記載したものであることを認識していたこと、右法条が憲法第二一条、第九七条、第三一条に違反しないこと、以上の点については原判決が逐一証拠を挙げもしくは理由を付して判断したのであつて、検察官もこれを認めて争わないのである。

二、検察官の主張に対する判断、

(イ)  検察官はまず破防法第三八条第二項第二号の文書頒布罪は一種の宣伝罪であり、内乱実行の意識的基盤を醸成する危険性に可罰性の基礎を求め、また内乱実行が目前に迫るまで国家はこれを拱手、傍観しなければならないいわれはないとし、同罪はいわゆる抽象的危険犯であつて原判決が「内乱の目的」のほかに「内乱の結果発生の現実的可能性あるいは蓋然性が存在し、これを認識していなければならない」としているのは抽象的危険犯の性質を誤解したもので従つて法律の解釈を誤つたものであるという。

そこで原判決の同条第二項第二号の法意についての見解を検討してみると、原判決の意とするところは右第三八条第二項第二号違反の罪はいわゆる目的犯ではあるが、本条の場合は刑法所定の通常の目的犯と異なり客観的行為そのものは本来的には何ら違法性を有しないのみでなく、かえつて憲法によつて保障される表現の自由に対し、内乱の罪を実行させる目的が附加されることによつて、一躍して犯罪となるものであるから、この目的の認定には厳格な制限が存するものと解するとなし、破防法第二条において「この法律は国民の基本的人権に重大な関係を有するものであるから公共の安全の確保のために必要な最小限度においてのみ適用すべきであつて、いやしくもこれを拡張して解釈するようなことがあつてはならない」旨規定している趣旨に徴し、本条の「内乱の罪を実行させる目的」とは行為者において内乱罪の実行の正当性または必要性を主張した文書であることを認識するのみで足りないのはもちろん、行為者が単に内乱の罪を実行させる「主観的」意図を有していたゞけでは未だ充分とはいえず、さらに進んで客観的に内乱の罪の実行され得べき可能性ないし蓋然性が存在し、(いわゆる行為の附随事情と呼ばれるものである)行為者がこれを認識してその行為に出でた場合にのみ「内乱の罪を実行させる目的」があるものといわなければならないものとし、その理由として行為者において如何に内乱の罪を実行させる意図を有していたとしても客観的に内乱の罪の実行され得べき可能性ないし蓋然性がない限り同法第二条にいう「公共の安全のために必要な最小限度」に何らの影響がなく、これを超えて「拡張して解釈する」結果となるからである。ホームズ判事がいみじくも言論を制限する基準として「明白かつ現在の危険の原則」を宣明したのも、同法第二条の「公共の安全の確保のために必要な最小限度」と合致するところであつて、これをそのまゝ同法第三八条第二項第二号の「内乱の罪を実行させる目的」に採つて以て適用すべきものと信ずると説示している。

そこで同条第二項第二号違反の罪の可罰性について考えると刑法の名誉毀損、偽証等通常の表現罪の可罰性の根拠とは性質を異にし、通常の表現犯罪の可罰性の根拠はそれぞれの行為が独立的にもつている法益に対する侵害あるいは危険性であるのに反し、同条第二項第二号違反の罪は行為すなわち表現行為自体としては法益の侵害性あるいは危険性を独自にもつていない。要するに同条第二項第二号違反の罪は基本的犯罪である内乱の罪の実現される可能性ないし蓋然性が存在するという客観的条件の具備する事情のもとに行為者の目的内容としても単に内乱の罪を実行させる「主観的意図」のほか右の事情の存在を認識することを要するものと解するのが相当であつて右客観的条件を具備する事情のもとに表現行為をなすことにより一般的に基本的構成要件的犯罪である内乱の罪に対する法益の侵害性あるいは危険性が考えられるのであり、行為者が単に内乱の罪を実行させる主観的意図」のほかに右のように内乱の罪の実現される可能性ないし蓋然性が存在することを認識して行為に出ずることによつて始めて表現行為(それ自体としては後記のごとく単なる違法性を有するにすぎない)を可罰的違法性にまで高め得る主観的違法要素としての「内乱の罪を実行させる目的」といゝえられるのである。

ところで原判決は同条第二項第二号の犯罪の客観的行為そのものは本来的には何ら違法性を有しないとしているが、内乱の罪の正当性および必要性を主張した文書を頒布する行為は検察官の指摘するように国家の基本組織を変更することを意図する政治上最も重大な集団暴力の行使を正当視し、または必要視する主張を宣伝することであるから、それ自体違法性(単なる違法性であつて可罰的違法性ではない)を有すると考えられるので、何ら違法性を有しないとしているのは妥当な見解とは言い難い。

次に検察官は原判決が「明白かつ現在の危険の原則」を同法第三八条第二項第二号違反の罪の解釈に導入したことは何らの根拠がない旨主張しているが、凡そ言論は法律が防止せんとした害悪を生ずる「明白かつ現在の危険」がある場合に限り制限すべきであり、単に将来かゝる害悪を生ずる虞れのあることによつて制限すべきではないとするホームズ判事の「明白かつ現在の危険の原則」は、結局は裁判官の心証にのみ依拠するという欠点を指摘されながらも、国際的、国内的なもろもろの条件の下にあつて、言論の性格、内容、影響等それぞれの具体的条件につき、諸種の社会的利益、矛盾を調整するに当つて、ゆとりのある一つの「基準」としての機能を果しつゝあるのであつて表現の自由統制の基準として現在においても高く評価されているのである。「明白かつ現在の危険の原則」の上に立つて同条第二項第二号違反の罪について考察を加えると、内乱の罪の実行の正当性または必要性を主張した文書の頒布行為であつても、その行為の行われた社会的条件の如何によつては議論により、その虚偽と誤謬を明らかにし、教育によつてその行為による害悪を避止する時間的な余裕の存する場合があり、このような場合には言論を一層自由にし、言論による指導教育に委ねるべきであつて、右頒布行為を犯罪として沈黙を強制すべきではなく沈黙の強制は言論による指導、教育に委ねる余裕のないほどさし迫つた事情が認められる場合にのみ必要とするのである。

そこで客観的に内乱の罪の実行され得べき可能性ないし蓋然性が存在する事情のもとに行為者がこれが存在を認識して右頒布行為がなされる場合はすでに述べたように内乱の罪に対する法益の侵害性あるいは危険性と表現行為を可罰的違法性にまで高める主観的違法要素の存在が考えられるのであるから、その行為による害悪を避止するためにはもはや言論による指導、教育に委ねる余裕のないほどさし迫つた事情があるといゝ得るのであつて犯罪として沈黙を強制することは当然であるが、このような客観的主観的条件が具備しない場合においては、右頒布行為自体によつては未だ内乱の罪に対する法益の侵害性あるいは危険性と表現行為を可罰的違法性にまで高める主観的違法要素の存在が考えられず、行為者に対し言論による指導、教育に委ねる余裕が存すると考えられるので、右頒布行為のなされる附随事情として右の客観的条件が具備し、かつ行為者がこれが条件の具備することを認識することを同法第三八条第二項第二号違反の罪の成立につき法が当然に前提として予想しているものとなし、またこの考え方はホームズ判事の「明白かつ危険の原則」とも合致するものとなす原判決の右の見解は正当であつて検察官のこの点に関する非難は当らない。また検察官は最高裁判所が「明白かつ現在の危険の原則」を採用していないとなし、例として挙示した最高裁判所の判例が、検察官主張のような趣旨のものでないことは後述する。

また検察官は同法第二条の法意は、同法所定の罰則の解釈として単に拡張解釈による濫用を禁ずる趣旨のものであるとして、原判決のいう如く同法罰則の規定自体からは当然には導き出されないような厳格な制限を同法第二条は設定した趣旨のものでないとして、原判決が同法第三八条第二項第二号違反の犯罪の成立要件を論ずるに当り同法第二条にいう「公共の安全を確保するために必要な最小限度」を解釈上の規準としたことを論難しているが、同法第二条の規定は同法の以下の各条の規定の解釈適用についての根本的態度を規定したものであるから各条の規定において、憲法の原則に反して或いはある種の基本的人権を剥奪したり、あるいはある種の基本的人権を不当に制限したりする如く読めるものがあれば、それを形式的な文理解釈に偏することなく、憲法の原則に合するように、場合によつては制限し縮少し、また場合によつては補正して解釈すべき根本的態度を規定したものであるから、原判決が同法第三八条第二項第二号違反の犯罪の成立要件を論ずるに当り、同号の字義にとらわれることなく同法第二条の規定の精神を解釈上の指針としたことは正当であつてこの点についての検察官の論難もあたらないものというべきである。蓋し同法第三八条第二項第二号により禁止される行為は憲法的保障を有する言論、表現の自由に境を接する表現行為に属するもので、言論、表現の自由は民主々義の根幹をなすものであつて、さきに述べたように理論と教育によつて害悪を回避する手段の存する限り、救済手段は言論に委ね、権力をもつて沈黙を強制すべきではないというべきであり、反対者に言論の自由を許し、自由に言論を闘かわすところに民主々義社会の特徴と進歩があるのであつて、反対者の言論を濫りに権力をもつて圧殺すれば言論は忽ち萎微して、言論の自由は形骸を止めるのみとなる危険が存するのであるから特に同法第二条の前記解釈上の根本態度に照らし慎重な解釈が要求されるからである。

検察官が同法第三八条第二項第二号違反の罪は一種の宣伝罪で、その性質は抽象的危険犯であり、内乱実行の意識的基盤を醸成する危険性に基礎を求め、また内乱実行が目前に迫るまで国家はこれを拱手傍観しなければならないいわれはないと主張するが、右主張のうち同法第三八条第二項第二号違反の罪が一種の宣伝罪であり、その性質は抽象的危険犯であるとすることは正当であるが、単に行為者が形式的観念的に「内乱を実行させる主観的意図」を有するのみでは直ちに同条第二項第二号のいわゆる「内乱の罪を実行させる目的」があるとはいえず、内乱の罪の実現される可能性ないし蓋然性が存在する事情の存在を背景とする客観的条件の成就を必要とし、表現行為が右客観的条件を具備する事情のもとにかつ行為者が右客観的条件を具備する事情を認識してその行為に出た場合に右表現行為に可罰的違法性を認めることが言論の自由を尊重し、かつ法益を攻撃から防衛する法の任務にも合致するゆえんであることはすでに説示したとおりである。そうすると同条第二項第二号の「内乱の罪を実行させる目的」とは、すでにみてきたように行為者において内乱罪の実行の正当性または必要性を主張する文書であることを認識するのみではもちろん、単に形式的観念的に内乱の罪を実行させる意図を有していたのみでも足らず、原判決が正当に説示するように客観的に内乱の罪の実行され得べき可能性ないし蓋然性が存在し、行為者がこれを認識してその行為に出でた場合にのみ「内乱の罪を実行させる目的」があるものといわなければならない。したがつて原判決の同条第二項第二号についての見解は結局においてまことに相当であると考えられる。もし同条第二項第二号について、検察官のような見解をとれば、資本主義制度を廃し、社会主義政府を樹立する旨の正当性または必要性を主張する学術論文のごときものでも同条第二項第二号違反の罪に問擬されるおそれなしとせず、このような学術論文と同号所定の文書頒布罪との間に一線を画することが困難となるであろう。

次に検察官は被告人らがいずれも同法第三八条第二項第二号にいわゆる「内乱罪を実行させる主観的な意図」を有し、右意図のもとに本件軍事論文の頒布行為を行つた事実を認定し得る充分な証拠があるのにかゝわらず、敢えてこれを認定しない点において、また被告人らが本件軍事論文を頒布した当時およびこれに前後するわが国内全般の治安状勢は険悪なものであり、客観的状勢からみても本件軍事論文頒布行為自体が有する危険性を否定できなかつたのにかゝわらず、いずれもこれを認定しなかつた点において事実を誤認したものであるという。

しかし本件記録を精査し、原裁判所および当裁判所が取調べたすべての証拠を検討してみると、本件軍事論文が頒布された当時における客観的条件については、日本全国としては散発的に日本共産党員およびその同調者の一部尖鋭分子により騒擾もしくは集団的暴力事件が勃発した事実が認められるだけで、全国的にはなお平静を保ち、検察官主張のように極めて険悪な状態にあつたものとはとうてい認められないのみならず、終戦後約七年を閲し国民一般に深く民主々義が浸透し、国民の大勢は法による支配を支持するに至つていたことは公知の事実であり、まして本件軍事論文が頒布された上野地方は山間の平和な小都市であつて、内乱勃発の不穏な状勢は些も存しなかつたことが認められる。また日本共産党の首脳部や幹部であれば兎も角単に共産党員、その同調者であるというだけで本件軍事論文に従つて右論文掲載の方法に基づき究極的に内乱の罪を実行させる目的があつたという確証はない。そこで本件記録に徴すれば被告人らは日本共産党員もしくはその同調者であることは認められるが、本件軍事論文の頒布以外の内乱の実行の手段もしくは準備行為を企図していた形跡は全然なく、被告人らの意図は専ら本件軍事論文を労働争議中の安永鉄工所の工員に頒布し、同工員をして自発的に内乱に立上らせることにあつたものであることが認められる。したがつて被告人らが本件軍事論文を頒布した地域である上野地区に於て右認定の治安状勢のもとに、右の方法により内乱を起させようと意図するも、右内乱実行の手段、本件軍事論文頒布の対象、等を綜合して客観的に内乱の罪の実行され得べき可能性ないし蓋然性が存在していたことも被告人らにおいてこれが存在を認識していたことのいずれをも認め難いところであるから被告人らの右の意図は同法第三八条第二項第二号にいわゆる「内乱の罪を実行させる目的」に該当しないものというべく、この点についての原判決の措辞必ずしも適切でないが、その言わんとするところは右と同趣旨であつて、事実の認定について所論のような誤認は存しない。

(ロ)  ちなみに検察官は原判決の破防法第三八条第二項第二号違反の罪についての見解は昭和二四年五月一八日付の食糧緊急措置令第二条に関する最高裁判所大法廷の判決(刑集三巻六号八三七頁以下)、昭和二七年八月二九日付の地方公務員法第六一条第四号に関する最高裁判所第二小法廷の判決(刑集六巻八号一〇五三頁以下)の各趣旨に反する旨の主張について言及すると、前記大法廷の判決は食糧管理法に基く命令による主要食糧の政府に対する売渡に対し、これをなさないことを煽動するがごときは単なる政府に対する批判、失政の攻撃に止まるものでなく国民として負担する法律上の重要な義務の不履行を慫慂するもので公共の福祉を害するから、これを犯罪として処罰する前掲罰則は合憲であるとする趣旨であるが、右の判例は単に抽象的危険のみで慫慂者を処罰せんとする趣旨でないことは、右判文中に「現今における貧困な食糧事情のもとに」となる客観的条件のもとに慫慂された犯罪の実現される可能性ないし蓋然性の存在を可罰性において問題にしていることが明らかであるし、前記小法廷の判決も「地方警察吏に対し怠業慫慂文書を配布して怠業的行為をそゝのかす所為は公務員の違法な怠業的行為を慫慂するものであり、その所為によつても怠業的行為が起こる危険性が全くないような場合は犯罪を構成しないが文書中脅迫的文言を弄する個所に鑑がみるときは怠業的行為を起こさせる危険性なしとしない」として前掲罰則の犯罪として処罰することは憲法二一条に違反しない旨判示しているが、右の判例も怠業慫慂文書の文言が地方警察吏に対し脅迫的文言を弄しており、配布の対象も地方警察吏であるから単に抽象的危険のみを可罰性の根拠としているのではなく、慫慂された怠業的行為が起る可能性、蓋然性の存在も問題としていることがうかゞわれるのであつて、右両判例とも原判決が破防法第三八条第二項第二号の文書頒布罪の成立要件として基本的犯罪である内乱の罪の実現される可能性ないし蓋然性の存在を問題にしていることゝ矛盾するものでなく「明白かつ現在の危険の原則」を明らかに排しおるものとも解し難い。

三、以上の次第であるから検察官の本件控訴は理由がないので、刑訴法第三九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 影山正雄 谷口正孝 中谷直久)

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